悦楽の王、ご主人さま、奪い取る者、大蛇、悦楽と苦悶の皇子
※ウォーハンマーFRP2版「堕落の書」より引用
ひらめきと願望、その二つを司るスラーネッシユは大詩神にして、夢を充足させるものである。
情熱が形を取ったのがこの神であり、問題を解決することによる知的な満足感から、より低劣な充足にいたるまで、あらゆる快楽に肉体が与えられた存在なのだ。
スラーネッシュの領域は、不満感や苦悩であり、定命者が切望するものをかなえるための奮闘である。
また、くすぐったさや、苦痛が具現化したものでもあり、つまりは定命者らのあらゆる体験の総合体なのである。
混沌の神々の中でスラーネッシュをどう位置づけるかにあたって、多くの者が力説するのは、誘いかける者や、性的な願望を充足させる者としての彼の役割だ。
だが、スラーネッシュは決して、たんなる低劣な快楽の源泉にとどまるものではない。
もしもそうだとしたら、オールド・ワールド人を堕落させることにあれほど大掛かかりな成功を収めることはできなかったはずだ。
スラーネッシュはむしろ、想像力をうずかせるのだ。
彼は体験の具象である。
美術家や詩人の庇護者なのだ。
スラーネッシュは審美眼に基づく快楽をもたらし、創造行為をなし自己の創造物から満足感を得るあらゆる人々に、大きなひらめきをもたらすのだ。
スラーネッシュは、成功を約束することで定命者の想像の中へと道い進み、美術家たちにキャンパスに絵筆を走らせ、羊皮紙に向かってペンを取らせるための意欲を人為的に注ぎ込むのだ。
もちろん、そうした感受性の鋭敏さは、肉体の感覚にも波及する。
精神的な願望に飽食することで、より邪悪でより奥底に胎動する衝動が搔きたてられるのだ。
スラーネッシュは、感覚を麻痺させることで、虜たちに渇望を植え付け、初体験のあの興奮をふたたび味わおうと、より奇異な体験へと走らせるのだ。
芸術上の奮闘による快楽が色あせていくと、虜たちは肉体へと注意を移して、同等の興奮や快感を得ようとする。
いうなれば、”奪い取る者”のやりくちとは、滑りやすい坂道なのだ。
この神の奥にきらめく快楽を探りあてるこごとに、あらたな情熱による高揚感を得ようとの切迫感が強まっていくのである。
大蛇、すなわちスラーネッシュに長く仕えた者は、社会的な常識を投げやってしまう。
かつては目くるめく快楽だったものもありきたりに思えて、より異様で堕落した行為に目を向けることでしか、渇望を満たすことができなくなる。
やがて、肉欲の極みであった行為ですらも輝きを失い、信者らはやむなく、甘美な苦痛に身を投じることで、とにかく何らかの感覚に浸ろうとするのだ。
退廃はやがて背徳へ、背徳はやがて異形へと変化していき、行き着く果てには、とほうもないうずきににもにた切迫感から何かを感じたい……何でもいいから感じたい、と思うようになるのだ。
スラーネッシュは、両性具有の人間型をしており、左半分が男、右半分が女となっている。混沌の他の神々とは異なり、スラーネッシュは罪深い美しさをそなえており、息を呑むほど整った姿に見えることも、正視に堪えない不自然な姿に見えることもある。
髪は波打つ純金のごとくにうねり流れ、それをつき破るかのように二本の黒ずんだ角が、額から生えている。
光きらめく鎖帷子のシャツを着て、名状しがたい退廃と美しさを具え持つベルベットや宝飾品をちりばめている。
翡翠製の魔法の笏を右手に握っているが、スラーネッシュに言わせればそれは彼の財宝の中でも最高のものなのだそうだ。
混沌の虚空における彼の領域は広大にして豪奢なもので、そこでは信者やディーモンたちがはしやぎまわり、穢らわしいが至上の美食の並ぶ乱飲乱舞の饗宴に酔いしれるのだ。
スラーネッシュの従卒は例外なく性的魅力にあふれ、身震いするほど魅惑的だが、同時に、吐き気をもよおす混沌変異や醜貌をそなえてもいる。
性格
あらゆる混沌の神々の中でも、オールド・ワールドで最も広く受け入れられているのはスラーネッシュだ。
肉体の快楽にふけりながらも彼の名をロに出して祈らない者は多いが、そうした連中にしても結局は“悦楽の王”の注意を引くことになるからだ。
あらゆる階層の者をスラーネッシュは受け入れるが、ほとんどの信者は上流階級出身で、豪奢な暮らしに慣れきった連中だ。
画家や詩人や楽士といった面々も、生を極限まで享受せよとの教えに創造的刺激を感じて、スラーネッシュに惹かれていく。
混沌の他の神格の信者とは異なり、個々のスラーネッシュ教団はお互いに対して好意的な姿勢をとっており、より大規模なネットワークを築き上げることで、信者たちが新たな誘惑を試せるようにする。
信者は、 人種や国籍に関わりなくスラーネッシュの神殿に迎え入れられるし、旅する信者が都市を訪れるたびに、 スラーネッシュ信仰の小集団が一つや二つはあって、快く迎えてくれるのだ。
オールド・ワールドにおいてスラーネッシュの影響力が強い地点といえば、何より大都市で
ある。
また、ティリアやエスタリア、ブレ卜ニアの貴族たちは、臆面もない耽溺をたたえる教義にとりわけ惹かれ、支配階級に堕落を広めている。
前述のような地域では、信者たちが昼間は信仰を偽ってシグマーやウルリック、湖の淑女、ミュルミディアらに忠実に仕える者のふりをして、持ち運び可能な秘密の祭壇を利用して、夜にはスラーネッシュをたたえる低劣な儀式を行なうものだ。
尊敬を集める貴族や豪商、司祭といった面々にも、裏ではスラーネッシュの信徒という者は少なくないのだ。
制約
スラーネッシュが信者に求めるのは、ただひたすら享楽や快楽の追及にふけることであり、制約といえるものは極めて少ない。
スラーネッシュ信仰を長く続ければ続けるほど、信者は飽きっぽくなっていき、より胸糞の悪い倒錯した行為でなければ鈍磨した感覚には刺激にならなくなる。
以下は、スラーネッシュによる布告の例である。
・体験を次々に重ねていくことは、それ自体が目的だといっていい。さあ、安全な日々の習慣から視野を広げて、スラーネッシュならではの全き快楽と苦痛に身をゆだねようではないか。
・衆生の欲望に火をつけることで、スラーネッシュをたたえよ。身分や階級で人を区別してはならない。あらゆる者が、スラーネッシュの子たりうるのだからね。
・あらゆる快楽がスラーネッシュに栄誉をもたらす。知的なものであれ、肉欲であれ、感覚を増進させるものなら、とにかくやってみたまえ。
スラーネッシュ教団
スラーネッシュの諸教団は数多く存在する。
最も小さな田舎から最大の都市まで、どこででも見出すことができる。
神としてのスラーネッシュは、数え切れないほどの快楽を与え、苦痛はほとんど与えない。肉欲的行為の成就であろうが美しい十四行詩の作成であろうが、それはあらゆる夢を満足させてくれる。
幻想家や夢想家、嫉妬深き者たちの守護神であるスラーネッシュは恐ろしいほどの人気があり、エンパイアのあまりにも多くのエリート層の魂を我が物にしている。
なぜスラーネッシュがそこまで人気があり、一般的なオールド・ワールド人にそれほど強い影響を及ぼしているのかには多くの理由が存在する。
道徳的な抑圧がおそらく最大の理由である。
画一的で自由のないシグマー教団のせいで、多くのオールド・ワールド人は神殿の命令によって抑圧されており、自分たちの生来の感性や衝動に合致しない生き方を強制されているのである。
慣習によって支持されてきた受け入れやすい観念がこれに加わり、人は道徳や倫理的抑圧によって背負わされた社会を抱えているのである。
社会的制限だけが人々を混沌に向けてしまう唯一の理由ではない。
エンパイアは地位の場所であり、階級の国であるが、これは変わりうる。
貧民にはその貧困生活から抜け出す希望がほとんどないことは真実であるが、完璧な肖像画を創り上げた芸術家は社会の最前線に踊りでることができるだろう。
同様に、成功した詩人は余生を快適に過ごすことができるであろう。
しかし、そのような成功例は稀である。
さらにいえば、それは下落しやすい。
ある男が1日で”女選帝侯”の寵愛の臣となることができても、翌日には絞首刑にかけられているかもしれない。
比較的裕福という点で貴族階級にゆっくりと侵食しながら台頭しつつある商人階級がこれに加わり、エンパイアは以前よりもいっそう社会的に複雑になっている。
帝国文化の流動性を考えれば、人は多くのものを手にいれ、そして失うことになろう——全ては、自分の価値を他者に納得させるための財産、才能、能力を持っていることが基盤にあるのだ。
このことがプレッシャーやストレスを作りだし、成功することを——または生き残ることすら――強要された、多くの者たちはインスピレーションや助力をより暗い要素に求める。
スラーネッシュは夢を満足させてくれるため、中には一番厳しい時期に彼に助けを求める
者たちもいる。
そしてスラーネッシュ神は与えてくれる。
彼が与えれば与えるほど、定命の者たちはもっとそれを欲しがる。
この“暗黒神”の誘惑を受け入れた芸術家は名作を描くためのインスピレーションを得るかもしれないが、“大蛇”の助力がなければ、二度とそれに見合う仕事を行なえないことに気付いてしまう。
そうしてますます、彼は彼の面倒がなければもはや立ち行かなくなるまでに”悦楽の君子”に自身を捧げてしまう。
シンボル
スラーネッシュのシ ンボルは男性の象徴と女性の象徴が汚らわでい形で結合したものであり、”奪い取る者”の両性具有的性質を讚えるものである。
その儀礼や儀式においては顕著に象徴されるが、スラーネッシュの教徒たちは公の前ではそのような呪わしいシンボルをめったに見せびらかさない。
むしろ彼らは、 精巧に作られた奇抜で異質なデザインの宝飾品や淡い衣装――鮮やかなピンク色や緑色、深紫色が好まれる――を身に着けて、その頽廃的な性格を強調する。
教団
スラーネッシュの信徒たちは快楽主義の異常者であり、かなり最悪に近い人間たちで構成されている。
彼らはサディストからマゾヒス卜まで幅広く存在する。
彼らはあらゆる倒錯的な悪徳、一瞬の解放感のためのあらゆること、その瞬間で自分たちが望むありとあらゆるものを満足させることにふける。
スラーネッシュの聖数は6である——彼の諸教団はしばしば6の倍数の人数を集める。スラーネッシュの性的魅力を受け付けない者はいない――彼は貴族も一般人も同じように誘惑する。
“悦楽の王”はエンパイアからブレトニア、ティリアの大都市国家群、エスタリアの無骨な要塞宮殿に至るまであらゆる人々を誘惑する。
その邪悪な饗宴で、彼らは楽しめる限りの殺戮を行ない、よそ者をその醜悪な儀式に参加させ、そこで快楽を約束して彼らをじらし、究極的にはその賓客を最高潮に楽しませ、彼の人生を新たなる神に捧げさせる。
【スラーネッシユの教団】あまいくちづけ会:The Sweetest Kiss
あまいくちづけ会は、スラーネッシュを信奉する地域教団であり、GMの一存でエンパイアのどの小村落に設定してもよい。
教団員たちはモールスリーブの満月の夜ごとに、村の外に広がるヒースの荒れ野に寄り集まる。
近在のビーストマンやミュータントも森から集会にやってきて、スラーネッシュを讚える飲めや歌えやの乱痴気騒ぎに打ち興じるのだ。
村民のおよそ20%ほどが教団員であり、秘密結社ではありながらも、会員の勧誘は他の秘密教団に比べればわりと大っぴらに行なっている。
スラーネッシュを信奉する教団の常として、彼らは何より、村でも指折りの魅力的な若人を勧誘しようとする。
理由の一端は、そうした若人なら他の人々を勧誘しやすいことにある。
ただしそのことが、教団の壊滅を招くこともまたありえるのだ。
PC一行に話しかけてきた村の娘は、きっと、過去に騙されて集会に連れて行かれ、非道な行為をしてほしいと暗にせがまれて、恐怖に震えた経験の持ち主なのだろう。
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